福岡地方裁判所小倉支部 昭和44年(わ)194号 判決 1970年8月28日
主文
被告人は無罪
理由
(公訴事実)
被告人に対する公訴事実は「被告人は、昭和四四年四月二二日午前七時四五分頃、北九州市八幡区花尾町二丁目平野川第五砂防えん堤付近山道において、折から通行中の安部A子(当一二年)を認めるや、にわかに劣情を覚え、同女の背後より同女の頸部に腕をまわして同所付近笹籔内に同女をひきずり込み、同所で抵抗する同女の頸部を手で扼圧し、さらに同女着用のリボンをもつて同女の頸部を絞めつける等の暴行を加え、その反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫しようとしたが、右暴行により、同女が意識を失なつたため、同女を殺害したものと錯覚を起して恐怖を抱き、あわてて逃走し、その目的を遂げなかつたが、その際右暴行により、同女に対し、加療約六日間を要する下顎部頸部挫傷の傷害を負わせたものである。」
というにある。
(当裁判所の判断)
第一、右公訴事実に添う外形的事実即ち本件被害者安部A子が前記公訴事実摘示の如き被害を受けたことは<証拠>によりこれを認めることができる。
そこで次に前記被害者の供述および同女の母安部B子の司法巡査に対する供述調書ならびに司法警察員作成の昭和四四年四月二二日付実況見分調書、受命裁判官による検証調書により被害の詳細を明らかにする。
一、(イ)被害者の居住場所等について
本件被害者は北九州市八幡市花尾町二丁目に居住する事件当時満一二歳の花尾中学一年生の少女である。被害者の居宅は花尾山と皿倉山の谷間で標高約二二〇米のところにあり、附近には二軒の人家があるだけの奥まつたところである。
(ロ) 被害者が本件当日自宅を出発した時間
被害者は昭和四四年四月二二日午前七時四〇分テレビに映る時刻に合わせて花尾中学校に登校するため自宅を出発した。
(ハ) 登校経路
自宅を出て巾員約一米の山道を約六〇〇米下り、花尾町三丁目バス停に出てのち街中を花尾中学校まで通学する。右バス停付近までは金岡という家の隣家に空家が一軒あるだけであり、被害者の居宅から被害現場までは友人が居ないので被害者は一人で通学する。
(ニ) 被害現場およびそれまでの道路の状況
被害者宅から山道を約三〇〇米下ると平野川第五砂防えん堤に達する。堤の階段約五〇段を下りると又山道となる。このえん堤の三〇米手前に木橋がありその間の道巾は概ね約一米である。被害現場に当る道路の左手は笹籔の密生した凹地である。付近に人家は全くなく、人通りは稀れで時折上流にある妙法の滝、貫の滝に参詣する人がみられる淋しい山道である。
二、被害者の供述に基く被害状況の概要
被害者は歌をうたいながら本件現場にさしかかつた際、突然後方から手を回されて首を絞められ、右手の笹籔の中に引きずり込まれた。その男が隠れていたのかどうかはよくわからない。「金をあげるから助けて下さい」と頼んだが男は口をきかなかつた。仰向けに押倒され、馬乗になつて首を前から絞められた。「もうすぐ兄ちやんが通る、兄ちやん兄ちやん」と大声を出した。男は更に強く首を絞めてきて呼吸ができないくらいにした。その頃兄紀久雄(当二四歳)が近くの山道を行く姿をちらりとみた。男の顔をひつかいて抵抗した。顔の頬の辺に血のにじむくらいの傷が三カ所ぐらいできた。男はセーラー服の白のリボン(ネクタイ)をとり首にまきつけてひつぱり絞めてきたので失神した。サイレンの音で気付いたがそれは午前八時頃のサイレンである。男は年令三〇ないし四〇歳、身長一米五、六〇糎、体格中等、頭髪は長髪で油気なし、丸顔色黒でところどころにあざみたいなものがあつた。服装はうす青の背広ようの上衣白カッター、ネクタイなし、労務者風の男であつた。
第二 本件犯行と被告人との結び付き
本件においては被告人と犯行とを直接結び付ける物的証拠はない。<証拠>によれば、本件捜査の過程は次のとおりである。即ち、被害者の母から一一〇番による本件被害届があり、同日現場の実況見分、被害者の供述の聴取がなされ、翌日被害者の遺留品である手提袋、ビニール靴の片方が現場付近で発見されたこと、頭の傷と人夫風の男という点を主な手掛りに労働下宿を中心に捜査を続け、亀崎労働下宿で被告人の同宿者田中昭に顔に傷のある小柄な男ということで聞込みし写真で面割したところ、被告人が捜査線上に浮び上り逮捕するに至つたこと、被告人の取調に際しては新しい爪でひつかいたような顔の傷痕を追及し、当日の足取りを追つたところ答に詰つて本件犯行を自供するに至つたことが認められる。
しかして被告人と本件犯行を結び付ける証拠としては、被告人の警察官、検察官に対する自白調書のほか、被害者の供述、犯行後の目撃証人綾塚勝代の第一回公判廷における供述記載、事件後の被告人の足どりおよび服装容貌等に関する多数の証人ないし参考人の供述がある。
そこで、右各証拠についてその証明力、信憑性を逐一検討することにする。
一、被害者の供述について
被害者の供述としては司法警察員に対する供述調書と第二回公判廷における供述の記載とがある。被害者は年令一二歳であるが普通教育も受けており、供述内容から推し測つても充分な証言能力が認められる。そして同女は被告人を犯人と断定している。しかし、本件犯行の体様は前示のとおりかなり急迫した突嗟の間に行なわれたものであり、同女は失神するまでに至つているほど強度の暴行を受けているのであるからその畏怖、驚愕の念はかなり強いものがあると認められる。従つてその記憶に全幅の信頼を置くことはでき難い。同女が被告人を犯人として了知するに至つた経緯は、同女の右証言によると、「まず警察で顔に特長のある同じくらいの人三人を写真で選び出したがよく似ていないということで、次に顔に傷のある人の写真一〇枚ばかりを家に持参してきたが、その中に被告人の写真があつた。」というのである。従つてここで右面割の方法が不正確とは直ちに断定し難いが何れにしても被害者の右証言のみを頼りに有罪を認定するのは不相当であり他の証拠と綜合して判断する必要があると思われる。
二、犯行直後の犯人を目撃したという綾塚勝代の第二回公判廷における供述
同女は、「貫の滝に修行に行く途中、本件犯行現場の近くの砂防えん堤の階段を上つて一息ついていたところ、現場の笹籔の中から一人の男が這い上つてきた。一番驚いたのは頬から血が流れていたことである。その男は道に落ちている風呂敷包みみたいなものを拾つた。遠くから見たときは顔一面に血が流れているような気がした。写真で非常に似てることになつた。写真は最初一枚、二回目も一枚位もつてきたが、二回目に思わずよく似ているといつた。」旨証言しているが他方「近くでみているが近視であつて眼鏡をかけていなかつた。犯人が拾い上げたものもよくみえていない。」旨述べており、服装に記憶のない点および写真一枚の面割という先入観を持たせ兼ねない捜査方法の不備などを併せ考えると右同女の証言には多分に信を置き難いものが認められる。
三、本件後の被告人の足取および服装、容貌等に関する証人ないし参考人の供述
かかる意味内容の供述証拠としては、神宮盛子、神宮久子、渡辺汀、田中昭の司法巡査に対する各供述調書、第二回公判調書中の証人三井千佐子、同亀崎清美の各供述記載がある。これら各証拠は直接証拠ではなく、被告人の顔の傷痕の有無ないしその状況、着衣の模様などを述べているにすぎない。しかもその間の供述には喰違いがあり、或いは記憶のさだかでない点もあつて、その証明力は極めて薄い。例えば、顔の傷については、犯行当日に会つている神宮盛子、渡辺汀は「記憶がない。」と述べ、同じく犯行当日に会つている神宮久子は「顔に爪でひつかいたような傷があつた、傷の新旧の程度については記憶がない。」と述べ、亀崎清美は「顔にニキビのあとと思われる長い線のような傷ができていた。」と述べ、四月二四日に会つている田中昭は「右頬に何かすりきずのなおりかけのようなものがあるのに気付いた。」、同月二五日頃に会つた三井千佐子は「右頬にひつかききずに似たきずがあつた。」と各述べており、各人の記憶の曖昧な点を端的に示している。又着衣にしても、各人の供述は区々であり、しかく明瞭な認定はでき難くなる。その他犯行直後の足取についての手掛となる供述は全く認められない。
四、被告人の自白
被告人は公判廷では本件犯行を否認しているが、警察、検察庁においては取調官に対し犯行を自供している。取調に当つた警察官末永元吉および検察官の取調に立会した検察事務官野村政一の第四回公判廷における供述記載によれば、被告人の自白を記載した司法警察官に対する各供述調書はその任意性については差当つて問題はないと認められる。そこでその信憑性を検討するわけであるが、右自白に充分の信憑性が認められれば、被害者の証言等と相俟まつて被告人が本件犯行を行なつたと認める上に障碍となる一切の合理的な疑いは消滅することになる。しかしながら当裁判所は被告人の右自供に充分な信憑性を認めることを躊躇するものである。
(イ) 被告人の性格とその自白の信憑性を吟味する要点
鑑定人隈井甲子典、同宮村孝作成の鑑定書によれば、被告人に対する新制田中B式による知能検査では被告人はIQ六四でありその精神年令は九年一一月に相当すること、又WAIS成人知能診断法によれば綜合して被告人IQ六二であり精神薄弱と判定されていること、そして性格は劣等感が大きく引込思案であること、反省心も低く自己弁護的傾向があることが認められる。そして被告人の自供および前科調書によれば、被告人は昭和四三年一〇月一八日小倉簡易裁判所において、業務上過失傷害、道路交通法違反罪によつて罰金二五、〇〇〇円に処せられているが、そのうち五、〇〇〇円のみ納めて残額二〇、〇〇〇円は未納のままで過していた事実があり、被告人の右のようないわば愚弱な性格からすれば官憲に逮捕され或いは職務質問を受けること自体によつてもかなりの畏怖心を抱くことが考えられ、これらの点から更に本件の場合被告人は誘導に乗り易い状況下にあつたと確認するのが相当である。本件の場合被告人の自白の信憑性は厳格に審査されなければならない。
(ロ) 犯行日時および被告人の服装について
被告人の自供就中司法警察員に対する供述調書によれば、被告人は、昭和四四年四月一三日から大阪府堺市の岡崎工業建設現場に製缶見習工として出稼ぎをしていたが作業が危険なのでやめて同月二〇日暁一人で北九州市八幡区に戻り、同区本町二丁目松屋旅館へ宿泊した。その翌日歩いて同区春の町六丁目の亀崎労働下宿へ立寄り仕事を探した。翌二一日晩は松屋旅館に宿泊し翌々二二日は午前七時に目を醒ました。茶に青味かかつた背広上衣、ネズミのズボン、白カッター、赤紫のネクタイ、草履ばきといういでたちでボストンバッグをもつて松屋旅館を出る。亀崎労働下宿にボストンバッグを預けて皿倉山へ遊びに出かけた。以前花尾町方面から山へ登つたことがあり勝手は知つていたと述べていることが認められる。又、検察官に対する供述調書によれば、午前七時頃朝食をすまさないまま松屋旅館を出て、国鉄八幡駅前通りを山手の方まで歩き帆柱町付近で黒崎方面行きの西鉄バスに乗り、祇園町三丁目で下りて皿倉山に登山することに決めた。そこから平野町を通り過ぎ八幡中央高校を経て山道にかかつた。その辺が花尾町であることはよく知つていると述べていることが認められる。
受命裁判官の検証調書により右経路を検討したところ、松屋旅館から犯行現場まで一分間一一〇歩約七七米の速度で歩けば四三分三〇秒で到達できることが明らかとなる。従つて検察官調書記載のとおりであれば時間的には充分の余裕がある。又、警察官調書記載のように亀崎労働下宿まで出かけそれから現場へ赴いたものと仮定しても、検証の際の被告人の説明によれば右松屋旅館から亀崎労働下宿までは一〇分もかからない距離とみうけられるので、徒歩でも時間的には殆んどぎりぎりの線で被告人が現場に到達できることは必ずしも不可能とは思われないし、ましてや、被告人がバスを利用したとすれば充分な時間的余裕は生じたものと考えるのが相当である。次に服装の点では、主として関係者の供述内容に多く出てくる上衣の色合等を検すると、茶に青味がかつた背広は朝の光線の関係等で青が強調されれば被害者のいううす青色の背広ようの着衣と必ずしも相容れないものではないし、又田中昭の司法巡査に対する供述調書によれば被告人はこのほかにうす緑色のよれよれの作業衣を所持していたことが窺われるので、着衣が一致するか否かの点については何れとも断じ難いが、強いていえば犯人と被告人の所持していた衣服との間にはかなり異つたものがあるように解される。
(ハ) 犯行の態様
被告人の警察官、検察官に対する各供述調書による犯行の内容と被害者の供述により認められる被害状況とを対比すると次のような重要な点に脱落ないし喰違いがあることが認められる。
1 被害者は現場にさしかかつたとき歌を唱いながら歩いていたと供述しているが、被告人の自白調書の何れをとつてもそのような部分は現われて来ない。
2 被害者は笹籔に引きずり込まれる際「金をあげるから助けて下さい」と頼んでいるわけであるが、被告人の各自白調書中にはそのような部分は認められない。
3 被害者は首を手で絞められているとき「もうすぐ兄ちやんが通る。兄ちやん兄ちやん」と大声を出して救いを求めたと述べている。その直後に更に呼吸ができないくらい更に強く絞められ、その頃兄の紀久雄がすぐそばの山道を歩いているのをちらりとみたとも供述しているのであるが、このように犯行中に人が付近を通るという犯人としてかなり危険を感ずるような事柄があれば、通常記銘力の強い事項として記憶に残つて然るべきものがあると考えられるのに、被告人の自白中にはかかる部分は全くない。因に以上の行為中犯人は一言も発していないもののように認められる。
4 次に、被害者はパンツの外側にシミーズを着ていたが失神してのち気がついたときは、シミーズの裾の前の方がパンツの中に入つていたと述べている。一方被告人は被害者のパンツを引き下げて陰部をさわり腟に指を突き込んでみたりしたが、ぐつたりと死んだように寝ているので死んでしまつたものと思い恐ろしくなり、女の子はそのまま笹籔の中に寝せたままで竹籔から上の山道に這い上つた旨述べていて、パンツを元に戻した点などには全く触れていない。
5 司法警察員作成の捜査報告書によれば、被害者の所持していた物のうち、手提袋は被害者の兄徹が犯行翌日午後六時頃現場付近を通りかかつた際、前記砂防えん堤から約一〇米下つた山道の西方の笹籔から被害者のはいていたビニール靴の左片方と一緒に放棄してあるのを発見したこと、右は投込まれたような状況で一カ所で発見されたことが認められる。この手提袋ようのものを犯人が拾いあげたことは前記綾塚勝代もこれを目撃した旨証言しているところである。被告人はこの手提袋を笹籔から這い上つて山道に出たところに落ちていたのでこれを拾い上げ現場から立去る時に付近の籔の中に投げ棄てたと述べている。しかし、一緒に投棄されたとみられる右ビニール靴の一方については何の供述もしていない。
以上のような重要部分について被告人の供述が得られていないことは次のような疑問を提起する。即ち、被告人の供述によれば、被告人は当裁判所の検証に際して立会したほかは事件後の取調の際に本件現場へ赴いたことはなく、捜査段階で被告人を立会させた上での実況見分は行なわれていないものと認められる。しかるに、被告人の捜査官に対する各供述調書を仔細に検討すると、被告人は取調官に対して、犯行の態様についてはその大筋は被害者あるいは事件直後の目撃者の供述内容と一致しているが、前記のようにその重要な部分についてかなりの程度の脱落のある供述をしていることが認められるのに対して、現場および現場へ至るまでの道路、地形の状況についてはかなり詳細に要領よく記述されていることが認められる。このように供述対象により記憶の程度に落差が認められるのは単に被告人の知能が低格であるために記憶の一部が脱落したにすぎないものとして処理しうることではない。かかる点については捜査の過程においてなお一歩突込んで究明する必要があつたものと思われ、表面上の不正確な自白に捉われて疑問点を看過したそしりを免れえないのみならず、多少とも誘導の疑いがあるとみられても弁明の余地の少いところであると思われる。
三、被告人が犯行時受傷した顔の傷痕について
最後に、本件捜査の決め手となつた感のある顔の傷痕について検討する。
被害者は捜査官に対しては犯人から襲われ馬乗りとなつて首を絞められたときあいている両手で犯人の顔を爪でかきむしつたため、犯人の頬の辺に血のにじむくらいの傷が三カ所ぐらいできたと述べているが、証人として出廷した際には傷の点はよく記憶していないと述べている。尤も犯行直後犯人を目撃した綾塚勝代は顔の右側に一面に血が流れていたと述べ、被害者の母も警察官に対し被害にあつて帰つてきたときの被害者の顔は血だらけになつていたと供述しているが、被害者の着衣に相当量の血痕の付着していたと覚しき証拠はなく、又綾塚勝代はかなりの近視と思われるのに当時は眼鏡を着用しておらずその認識力は相当劣つていたと認められる点などからすれば右被害者の捜査官に対する供述内容こそ措信すべきものと解する。そうすると、本件発生後旬日を経ない間に被告人を目撃している前記三記載のうち神宮久子、亀崎清美、田中昭、三井千佐子らの供述により得られる被告人の顔の傷痕が少しく本件被害者のいう傷痕と符合してくるわけであるが、右各目撃者の供述は曖昧であるばかりか相互間においても一致を欠くものがあつて到底被告人の顔の傷痕を明確に復元するに足りるものではない。しかも、鑑定人中島一作成の鑑定書によれば、被告人は元来毛のう炎および毛のう炎性湿疹にかかつていたものと思われ、それらの皮疹は掻抓することにより容易に出血することが認められる。従つて被告人の顔の傷痕が仮にひつかき傷であるとしてその形状が明らかでない以上、その体質からみて本件被害者により生じた傷であるとは容易く認定することはできない。即ち本件の場合被告人の顔の傷痕は形状の符合のないかぎり重要な証拠とはなりえない。
第三、結論
被告人に疑わしい点は、1況見分に立会しないのに現場の状況に明るいこと、2被告人の服装も疑問点は多いが必ずしも一致させえないものでもないこと、3本件当時被害者よりつけられたと覚しき顔の傷もあり、人相、体格、風体等も被害者や目撃者の供述とある程度符合すること、4一応の自白はある点である。しかしながら、1被告人は北九州市八幡区の中学校を卒業し、卒業後も同市を中心にして働らいていたものであつて、本件現場の状況には明るいものと認められるし、然らずとするも被告人の現場付近に関する供述には誘導の疑いがあること、2服装の点については明確な証拠はないこと、3顔の傷痕は前示のように犯行と被告人を結び付けるまでの証明力を有せず、又人相、体格、風体等は抽象的なものであつて具体的な特長をもたないこと、4自白については、被害者は中学生でありその服装所持品等は一般的であつて特に犯人でなければ判らないというようなものは認められず、犯行の態様についてもかなり大雑把な供述をしていて具体性に欠ける点が認められ、被告人の性質が誘導にのりやすいものである点と相俟つて、信憑性を抱き難いこと、5被告人には窃盗、道交法および業務上過失傷害犯の前歴はあるが粗暴犯の前歴はないことが認められる。
かくて以上諸点を彼此照合して検討すると、被害者の被告人が犯人である旨の指示があるにも拘らず、関係各証拠を綜合すればなお被告人が本件犯行を犯したと認定するには、なお合理的な疑いを容れる余地が多分に存することが認められる。その他本件各記録を精査しても有罪と認めるに足る証拠は存在しない。よつて本件は犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法第三三六条後段に則り無罪の判決を云渡す次第である。(小向基夫 石井恒)(神吉正則は病気のため署名押印できない。)